ヤナセがタイヤの販売修理の世界でもパイオニアであったことをご存知ですか。
ヤナセは大正時代からUSタイヤの代理権を持ち、国産のタイヤが生まれた後は横浜ゴムのタイヤを扱っていました。昭和の初めには、バーコナン、ピレーニ(ピレリ)、コンチネンタル、ミチリン(ミシュラン)、フィスクといった輸入タイヤを販売するだけでなく、タイヤの再製・修理も始めていたようです。以下は日本タイヤ産業時報の代表者である岩窪通氏の寄稿文です。
更に驚いたことにはタイヤの再製、修理を考案され、梁瀬の車庫の一隅で始められたことである。最もその後間も無く安全系でも外人の指導で始めたが、当時先達の米英でも、アンダーソン式という修理法が始められたばかりで、日本としては全く思いもよらぬ苦心創案のものだったらしい。
(出典:『日本自動車史と梁瀬長太郎氏』より)