ヤナセは創業当初からGM社とは良好な関係にありましたが、喧嘩別れしていた時期があるのをご存知ですか?
関東大震災により乗用車市場が急拡大した1927年、GM社は先行するフォードに対抗するため、大阪に組立工場を設置、量販車であるシボレーの販売網を再編します。GM社からの申入れに激怒した梁瀬長太郎社長(当時)は、GM車全ての販売権を放棄してしまいます。その後、ともに苦戦を強いられた両社は、1931年に関係を修復し、ヤナセはシボレーを除くGM車の販売を再開します。
GM社の販売を放棄した結果、当社はアースキン、フィアット、スチュードベーカー、レオ・トラックの販売を開始した。長い間「ビュイックの梁瀬、梁瀬のビュイック」と言われ、陸海軍並びに全国へ広くビュイックを販売していたものを、直ぐにスチュードベーカーに切りかえることは大変難しいことであった。
(出典:梁瀬次郎著『轍』第1巻より)※上記以外にヤナセはこの時期オースチンやオペルも取り扱った。