芝浦がヤナセの本社になった経緯をご存知ですか?
昭和24年の暮れに進駐軍の第181郵便局として接収されていた日本橋本社が接収を解除されました。 しかし、日本橋周辺の交通状況が次第に悪化してきたため、梁瀬次郎社長は会長の反対を押し切って、終戦後に仮移転していた高浜工場から芝浦工場に本社を移転します。また、日本橋の社屋は、「ヤナセストア」として駐留軍人、登録外国人向けにデュポンの家庭用ペイントやウェスチングハウスの家電用品を販売することになります。
父からは、「芝浦くんだりまで車を見に来てくれるお客などいるものか」と一蹴されたが、私は「問題は駐車場です。これからは駐車場がなければどんな商売もできません。芝浦ならばお客さまの車をお預かりするのが容易ですが、日本橋ではどこにおけばいいんですか」と主張した。
(出典:梁瀬次郎著『私の70年』より)