ヤナセは創業当初からクルマの販売だけでなく、付帯サービスの充実にも力を注いでいたことをご存知ですか?
当時は専属運転手が常識であったため、ヤナセは運転手を大量に育成し、運転手付きでクルマを販売していました。
また、内幸町の現在飯野ビルのある場所に約300台の保管能力を持つ日本最初の貸しガレージ「梁瀬ガレーヂ」を設置、さらに運転手クラブを作り運転手は呼び出しがあるまでお茶やケーキ、ゲームを楽しむことができました。
大正3~4年の頃、新規に自動車をセールスするため是非これにつけてやるところの多数の運転手が必要であったために、志望者に教育を授けて運転免許を取らせ、官庁やその他へ、車とともにつけてやったことがある。その後会社に車両係を作って多量に運転手を育成したため、凡そ2,000人くらいは梁瀬自動車から、全国に散っている。
(出典:『日本自動車史と梁瀬長太郎』より)