東京で初めて定期運行された乗合バスのボディをヤナセが作ったことをご存じですか?
1918年に東京市街自動車が新橋~上野間の乗合バスを開業、ボディが深緑色であったことから青バスの愛称で親しまれました。当初製造されたのは100台で、50台をヤナセがクライズデールのシャーシ、残りの50台を東京瓦斯電気工業(いすゞ自動車の前身)がリパブリックのシャーシにボディ架装しました。
市民からは歓迎され、その後発生した関東大震災ではバスの有用性が立証されたものの、長太郎社長は背高ノッポのスタイルには不満を持っていたようです。