大正時代の12名の海外留学生(1919年)

外航客船前での記念撮影(田中氏は右から3人目)/ダットサンのエンブレム

海外旅行も珍しかった大正時代にヤナセは12名もの社員を海外に派遣したことをご存じですか?

技術者や工員などから選抜された精鋭を1919年頃から順次欧米に派遣、自動車製造技術を学びました。その中には田中常太郎氏(ヤナセ号の設計・製作担当)や吉崎良造氏も含まれ、田中氏は後に日本GM社を経て日産でダットサンの製造に従事(後に同社取締役吉原工場長)、吉崎氏はダットサン商会を創立するなど、ヤナセ出身の人材は国産車の発展にも寄与したのです。ダットサンのエンブレムは両氏が考案したといわれています【注】。

【注】ウィキペディア「ダットサン-エンブレムの由来」参照。

梁瀬さんが大正5年に日比谷に始めて梁瀬商会を始められた年に、先輩の堤氏のお世話で入社し、昭和2年に日本GM社に転ずるまで、12年間お世話になり、その間ボデーの研究のために、渡米の機会を与えて下さったのも、梁瀬さんが私の将来を考えられての挙であったし、深く感銘しておくところであります。

(出典:『日本自動車史と梁瀬長太郎』田中常太郎氏の寄稿文より)