大正12年、梁瀬長太郎社長(当時)は、海外視察のためアメリカとヨーロッパに外遊しました。その船中で関東大震災の発生を知った社長は、復興には物より人の移動が優先するという信念の下、周囲の大反対を押し切って乗用車2000台を発注しました。結果は大成功。不況により大量に抱えていた在庫は一掃され、新入荷した2000台もプレミアがつく売行きで、会社の財政を立て直すことができました。逆にトラックを大量に輸入した同業者は、在庫に大変苦労したようです。また、震災直後は、銀行も閉鎖中で、車両代金として受け取った札束の始末に困り、工場に穴を掘って埋めたという逸話もあります。