ヤナセが整備振興会の基礎を築いたことをご存知ですか?
梁瀬長太郎社長(当時)は、昭和初期に我が国の自動車界の発達の一助とすることを目的に自動車修理業者20名ほどのメンバーで「自動車修理加工工業組合」を結成。昭和16年に業界の全国組織である「日本自動車修理加工業組合連合会」が設立された際は、初代理事長に就任します。この団体が、その後変遷を重ね今日の日本自動車整備振興会連合会(日整連)に至っています。
修理業者は決して金満家にはなれないものである。これは所詮は奉仕の業で、悪くいえば下駄の歯入れ屋とか、雪駄直しと一緒の仕事で、一生懸命にやってさえいれば生活だけは出来るものであるから文句をいわずにコツコツとやっていくに限る。これが即ち自動車を愛するサービス業であり修理業者の本分である(梁瀬長太郎氏談)。
(出典:『日本自動車史と梁瀬長太郎』より)