戦前オートレースで活躍したオオタ号の車体を、ヤナセが作っていたことをご存知ですか?
オオタ号は戦前、日産のダットサンとともに国産乗用車の代表的存在でした。三井物産は自動車製造で先行する日産自動車に対抗するため、1935年太田自動車製造所に資本参加し高速内燃機機関(株)を設立、ヤナセは車体製造を担当します。当時のオオタ号は、エンジンが堅牢で非常に強力でダットサンをしのぐと高い評価を得ていたそうです。
オオタ号のエンジンがいかに堅牢で強力であったかは、当時競争用自動車でだんぜん強い位置を占めていたことでもわかる。たとえば昭和11年、丸子多摩川の河原にスピードウェイが完成し、この年開かれた第1回国産小型車レースで、1着、2着をオオタ号が占め、翌年の第2回ではほとんどのレースで1着を独占、オオタ号のエンジンはその評価を高めていた。
(出典:梁瀬次郎著『じゃんけんぽん』より)