ヤナセが庭下駄やフライパンを作っていたことをご存知ですか?
終戦後の連合軍の日本占領政策により、日本橋本社を進駐軍の第181郵便局として、高浜工場をパン工場、芝浦工場を宿舎として接収されたヤナセは、作るものも売るものもなかったため、庭下駄やフライパンを作り闇市で売りさばいたり、鉄板をくりぬき自動車用の塗料を塗ってこしらえたブローチを名古屋の丸栄デパートに買って頂き急場をしのぎます。商品を荷車に積んで運搬するのは、社長に就任したばかりの故梁瀬名誉会長の仕事だったようです。
木工の連中が下駄をつくり、内張りの人々が鼻緒をつくってくれた。その下駄が戦後のヤナセの作品第1号であった。つづいて板金の連中がフライパン、鋳物の連中が鍋をつくってくれ、これを荷車に積んで芝浦から上野の御徒町の闇市に売りにいくのも私の仕事であった。
(出典:梁瀬次郎著『じゃんけんぽん』より)