梁瀬次郎氏が社長に就任した経緯をご存知ですか?
敗戦の年である1945年5月25日の取締役会で、将来に悲観的になっていた梁瀬長太郎会長は会社の閉鎖を提案します。他の取締役は全員賛成しましたが、梁瀬次郎芝浦工場長は、家庭を顧みず一生懸命働き工場を守ってくれる従業員に申し訳ないという思いから、無意識のうちに右手が挙がり口が動きます。「頑張っている社員を思うと、残念だ。最後まで努力して頂きたい。」
父は「近視眼的な見方をするな」といい、とりあってくれない。また、私の右手が挙がった。これを繰り返すこと6回。ついに父のカミナリが落ちた。「バカモノ!そんな生意気をいうなら、貴様、自分でやってみろ」こうして、29歳の社長が誕生した。その夜、東京は大空襲を受けた。三番町の父の家も、半蔵門の私の家も全焼、芝浦工場の大半も焼けた。文字どおり裸一貫の出発だった。
(出典:梁瀬次郎会長インタビュー記事『商人の道』より)