戦後の外貨割当が通貨ごとに行われていたことをご存知ですか?
外貨割当は、その時の貿易収支の結果により割当量が増減するため、対米輸出が伸びなければドルによる米国車の輸入は困難になります。この点に着目した梁瀬次郎社長は、1949年、オールズモビルとポンティアックの販売権を返還し、英国のポンド・スターリングで輸入できるGM系のボクスホールとベッドフォードトラックの販売権を獲得します。実行面では苦労したようですが、この貨幣の種類による販売権という発想は、その後のフォルクスワーゲンとメルセデス・ベンツの販売権獲得につながる極めて重要な経営判断であったことになります。