ヤナセがエアバッグの草創期に関わっていたことをご存知ですか?
1965年、梁瀬次郎社長は、ソニーの井深大会長から小堀保三郎という発明家を紹介されます。同氏考案のエアバッグの有用性を確信した梁瀬社長は、自ら実験の模様を記録した16ミリの映画フィルムを持ってダイムラー・ベンツ社を訪問、GM、フォード、クライスラーに社員を派遣します。各社とも強い関心を示したものの契約締結には至らず、小堀氏は1975年失意の内に亡くなります。エアバッグは、1980年にベンツのSクラスに装備されたのを皮切りに世界各国で実用化され、小堀氏は2006年その功績により日本自動車殿堂入りしました。