メルセデス・ベンツ600

Mercedes-Benz 600 メルセデス・ベンツ 600

私たちの前に1台のメルセデス・ベンツ600リムジーネがある。新車と見紛うばかりのようなコンディションに驚かされるが、それ以上に私たちを魅了するのは、この車に刻まれた半世紀のヒストリーである。故梁瀬次郎氏が愛用したメルセデス600なのである。

必要な要素は圧倒的であること

メルセデス・ベンツ600シリーズは、1963年9月に開催されたフランクフルト・ショーにおいて、同社の最高位に位置するモデルとしてデビューした。それは周囲を圧倒する大きさの中に強力なパワーユニットを備え、威風堂々としたスタイリングは、メルセデス・ベンツの頂点に位置するプレスティッジモデルに相応しい品格を備えていた。

梁瀬氏は2台のメルセデス600を乗り継いだ。
これは2台目の車で入念に整備され、現在もヤナセの手厚い庇護を受けている

グローサー・メルセデスの系譜

600シリーズが登場する以前、ダイムラー・ベンツのVIP用高級サルーン/リムジンの市場は、1951年に登場した300シリーズ(W186/W189)が担ってきた。当時の西ドイツ首相であったコンラート・アデナウアーが任期中(1949~1963年)に公用車に使っていたことから、いつしか“アデナウアー・メルセデス” の愛称で呼ばれ、輸出先では各国の王族/貴族、政府高官によって公用車として使われた。クラシカルな曲面豊かなスタイリングと高い品質、贅 を尽くした工作で仕立てられた300シリーズは、敗戦から力強く復興する西ドイツを象徴する存在であった。余談ながら、その直列6気筒エンジンをベースに開発されたスポーツカー用ユニットは、モータースポーツへのカムバックを目論んで開発が始まった300SLに搭載され、成功を収めた。

300シリーズが生産を終えると、1963年にまったく新しい600(W100)シリーズが誕生した。ダイムラー・ベンツは、第二次大戦前、日本の天皇陛下御料車にも採用されたことで知られる770Kグローサー・メルセデスなどの超弩級プレスティッジカーを生産していた。すべての点で300シリーズを凌駕する600は、伝統の“グローサー・メルセデス” の血統を引き継ぐモデルであった。

ショーに集まった人々を驚かせたのは、その堂々とした体躯だった。サイズは長短2 種類あり、標準モデルの600(600リムジーネと呼ばれることが多い)でもホイールベースが3200 ㎜、全長が5540㎜、全幅は1950㎜とたっぷりとしたサイズだが、さらにロングホイールベース仕様の“600プルマン”では、全幅は変わらないものの、ホイールベースが3900㎜に伸び、全長は6240㎜にも達した。プルマンの全長はしばらくの間、チェッカー・エアポートリムジン(米国)などの特種用途車を除けば、世界最長の乗用車であった。ちなみに現代のS600Long(W222)のサイズはホイールベースが3165㎜でリムジーネに近いが、全長は5250㎜とだいぶ短く、全幅が1900㎜で600より多少狭い。

ボディは、開口部の大きなオープンボディ(ランドレー)を考慮した強固なプラットフォームを持つモノコック構造で、600 では4ドア(5/6座)、600プルマン(3列シートの7/8座)では4枚または6 枚のドアを備え、このほか前述したようにプルマンには元首などがパレードに用いるランドレーが用意された。

1930年から1938年まで君臨した770Kグローサー・メルセデス(W07)。1931年にジンデルフィンゲンの工場前に居並ぶプルマン。770Kはその後にモデルチェンジして、丸みを帯びたスタイリングに変わった

1951年から1962年まで生産された、メルセデス・ベンツ300(W186/W189)。これは1952年のモデル

メルセデス600には様々な仕様があるが、これは5座席の標準的サルーン仕様で、オーナーが自ら運転するには都合がいい

重厚なファブリック(ベロア)で設えられた後席。本革よりベロアのほうが高級な仕様だ。硬すぎず、柔らかすぎず、包み込むような掛け心地だ。後席も電動にて前方にスライドしながらリクライニングが可能だ

ショーファーに任せず、オーナーが自らステアリングを握ることを想定しているのだろうか、サンルーフを注文装着することが可能だった

搭載されたエンジン( M100)は新開発の90゚V型8気筒の6330㏄(103×95㎜)SOHCユニットで、メルセデスが90゜V8レイアウトを採用したのはこれが初となった。燃料供給システムにはボッシュ製のポートタイプ・メカニカル・インジェクションを用い、9.0:1の圧縮比から250PS/4000rpmと51kgm/2800rpm(DIN)を発揮した。組み合わされるギアボックスは、Sクラスで使い慣れたダイムラー自製の4段オートマチック(流体継手と遊星ギアセットを用いる)で、このATは機構的に僅かなシフトショックを伴うものの、そのぶん伝達効率が高いと謳っていた。さらに、リミテッドスリップデフを備えて、駆動力伝達に万全を期した。

その他の機構面についても、Sクラスサルーンのトップモデルである300SELで実績を積んだレイアウトを踏襲し、4輪独立懸架の前輪がダブル・ウィッシュボーン、後輪はスウィングアクスル式で、4輪にエアサスペンションを用いた。エアサスペンションの採用によって、プレスティッジカーに相応しい快適な乗り心地を得るほか、荷重変化にかかわらず車体をフラットに保ち、必要に応じて手動操作でロードクリアランスを50㎜増すことが可能であった。さらにダンパーはド・カルボン式の調整型を用いた。

ブレーキは4 輪ディスクで、前輪には各輪につき2 個のキャリパーを備え、サーボアシストは一般的なバキュームではなく、エアサスペンション用にエンジンが駆動するエアポンプから得た圧縮空気を用いた。

車室内の装備品は考え得るもの、すべてが備えられているが、特筆すべきは、トランクやドアの集中ロック機構のほか、一般的には電動モーターを用いるパワーウィンドウの機構にすべて油圧機構を用いていることだ。車重は600が2470㎏、600プルマンが2640㎏であった。

  • 後席のドアに設けられたウィンドウディフレクター。窓を全開にしても、角度を調整するだけで風の侵入を防ぐことができる

  • 6.3リッターV8エンジンのパワーやトルク値は決して強大ではないが、車重2500kgの車体を軽々と200km/h超まで引っ張る。ラジエター前方のクーリングファンは日本にて追加装備されたものだ

  • トランク右側にはスペアタイヤが収まる。ボタン操作ひとつで油圧によって持ち上がり、重いタイヤの取り出し作業を補助する

  • 6.3リッター、V型8気筒SOHCのM100型エンジン。その後、Sクラスの300SELにも搭載されて、300SEL6.3が生まれた

  • 600プルマン・ランドレー。このように後部シートのルーフがソフトトップで開閉できる。用途によって様々な仕様が注文できる。これはローマ法王のために特製された特別仕様車

  • メルセデス・ベンツ600プルマンリムジン(W100)。6ドアのほか4ドアの仕様がある。これはフェンダーのフラッグポールやドアの紋章、スペシャル・セキュリティ仕様を備えたモデルだ

赤坂迎賓館前を流す600。
路上での存在感は、まず現代の車で適うものはないだろう。周囲のドライバーから視線が集まる

高速移動手段としてのリムジン

600シリーズが目指したのは、たとえばロンドンのシティー街など静々と走るプレスティッジカーではなく、アウトバーンを高速で疾走できる能力を持つことであった。もちろん低速走行も考慮していたのはいうまでもないが、主たる用途は高速移動手段、すなわちビジネスマンズ・エクスプレスであった。そのために、信頼に足る正確なハンドリング特性と強力なブレーキを備え、最高速度はリムジーネでは205㎞/h、プルマンでは200㎞/hに達した。ちなみに、その後に発売されるポルシェ911の最高速度が210 ㎞/hであったことから、いかにメルセデス600が俊足であるかがわかる。0-100km/h加速はそれぞれ9.7秒と12秒でこなし、これも高性能なスポーツカーに匹敵した。

600シリーズは1964年9月から販売を開始した。発売当時の価格はそれぞれ5万6500と6万3500ドイツマルクであった(Sクラスの最高位にあった300SELは1963年当時、2万6400ドイツマルク)が、この価格は英国のロールス・ロイス・ファントムVに比べて遙かに安価であった。ロールス・ロイス・ファントムは職人による手作業を多用して少量生産していたが、ダイムラー・ベンツは600シリーズをジンデルフィンゲン工場に新設した組み立てラインで流し、量産体制を敷き、需要に応えた。

600シリーズは1981年6月に生産を終了するまでの17年間に2677台を送り出している。その内訳は、600が2189台、600プルマンは429台、オープンモデルのランドレーが59台であった。また、この中には43台のスペシャル・セキュリティ仕様(装甲仕様を示すのだろう)が含まれていることをダイムラーが明らかにしている。

日本へはヤナセ傘下のウエスタン自動車が1965~73年に70台を輸入し、ヤナセのネットワークを通じて販売されている。内訳は600が61台、600プルマンが8台のほか、ランドレー1台も含まれている。日本市場での初めての一般公開は、1965年秋に東京・晴海の国際見本市会場で開催された第7回東京オートショー(輸入車のみのショー)のことで、1250万円のプライスタグを掲げて展示されていた。同じブースに並んでいたSクラスの250Sは350万円、230SLは430万円であった。日本の代表的な小型乗用車である日産ブルーバード1300デラックスが65万円ほどで販売されていた時代のことである。

ブルーの600

今回取材したのは、ヤナセの社長/会長を務めた故梁瀬次郎氏が生前に愛用していた車で、5座席の標準的な600である。梁瀬氏にとっては2台目の600で、シャシーナンバーから推測すると生産後期の車だ(初代は薄いガンメタリックの塗色)。同社創立100周年に向けて2年前からオーバーホールを重ね、かなり良好なコンディションで、現在もヤナセによって手厚く動態保存されている。

取材の際には短時間ながらステアリングを握る機会を得たが、それはまさに路上の王座の風格であった。それが私の自己中心的な思い違いでないことは、周囲を走る車の反応からわかった。600の存在感に圧倒されるのだろうか、周囲が車間距離を大きくとって、決して近づこうとしないのからだ。路上で遭遇した某スポーツカーのドライバーは目を見張って脇見運転していたし、現代のSクラスのショーファーも同様であった。

運転者にとって助かるのは、サイズを意識させない視界の広さであった。高めの着座位置からはボンネットの先端まで視界の中にある。DB製の4段ATとトルキーなエンジンによって、踏めば圧倒的なパワーを発揮し、またブレーキも強力なので、現代の道路状況のなかでも自信を持ってステアリングを握ることができた。

もし許可が得られるなら、1970年代に600に乗り、1日で1000kmの取材旅行を敢行したという先達の逸話を再現したい衝動に駆られた。デビューから半世紀を経た現在でも、600はこの旅程を受け入れるパフォーマンスを有していることだろう。

全長が5mを超えるサイズだが、ドライバーにサイズを意識させないのは、視界が広く、周囲がよく見渡せることによるものだ

この600が保管されている芝浦のヤナセに返却する際には、できるならこのままもっと走っていたいと思えた

Movie 現代の車と比較しても遜色のない600の走りをご堪能ください。

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