YANASE’s Volkswagen history

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ヤナセとともに始まった、
日本におけるフォルクスワーゲンの歴史。

フォルクスワーゲンの誕生は、第二次世界大戦前まで遡ります。アドルフ・ヒトラーによるドイツ・ナチス政権時代の1937年、国民車を生産するという目的で国営企業「ドイツ国民車準備会社」が設立されました。この国民車こそが初代タイプ1(通称ビートル)であり、開発は後にポルシェ社を創業するフェルディナント・ポルシェ博士が任命されました。時速100キロの速度で大人3人と子供2人が乗車可能なこと、空冷エンジンを採用し7リッターの燃料で100kmの走行(1リッターあたりの燃費が14.3㎞以上)が可能なこと、価格は1千000ドイツマルク以下であることなどの厳しい条件をクリアするため、プロトタイプをもとに市販に向けた改良が行われていた1939年、第二次世界大戦が勃発。国民車として完成する前に、キューベルワーゲンに代表される軍用車両に転用され、世に出ることになりました。

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1945年、ドイツの降伏により第二次世界大戦が終結。フォルクスワーゲンの工場も多大な被害を受けましたが、早くもその年に当初の目的だったタイプ1を生産することができました。タイプ1は、空冷水平対向4気筒エンジンを積んだリアエンジン・リアドライブの2ドア4人乗り。経済性と耐久性で注目を集めましたが、このクルマの魅力はそれだけではありませんでした。後に「Customer Comes First=顧客第一主義」という標語を生みだした、他社にはない、優れたアフターセールス体制を重要戦略の一つとして掲げました。それが多くの人に支持され、アメリカをはじめとする世界中に輸出されるようになり、復興に向けたドイツに貴重な外貨をもたらしました。
タイプ1の成功を受けて、フォルクスワーゲンはラインアップを拡大。1950年に通称「ワーゲンバス」と呼ばれるタイプ2、1955年にスポーツクーペのカルマンギア、1961年にセダンタイプのタイプ3、1968年に4ドア・ワゴンのタイプ4を発表し、多くの人に支持されました。

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日本におけるフォルクスワーゲンの歴史は、1952年に極東地域への販促プロモーションとして、ハインリッヒ・ノルトホフ社長が4台のフォルクスワーゲンとともに来日したことから始まります。
フォルクスワーゲンの名声はすでに日本でも知られており、4台は当時の梁瀬自動車芝浦工場(現在の株式会社ヤナセ本社)にも運ばれ、つぶさに観察されました。この販促プロモーションは好評で、ヤナセを含めて10数社がアプローチを試みました。当時のヤナセはアメリカのGM社との関係がありましたが、紆余曲折を経て契約を締結。1953年からフォルクスワーゲンの販売を開始し、この年はタイプ1が105台、タイプ2が3台の合計108台のフォルクスワーゲンが輸入されました。
古いタイプ1はリアガラスの形状で識別されますが、ヤナセが輸入したタイプ1は後方視界を確保するためにセンターの柱が廃止された“オーバルウインドウ”以降のモデルになります。販売価格は、スタンダードが74万円、デラックスが80万円。当時の国家公務員の大卒初任給が7,650円であり、タイプ1は庶民にとって「高嶺の花」でしたが、展示会にはたくさんの人が訪れ多くのファンを獲得しました。

今回、ヤナセで撮影された当時の写真と、その当時のカタログを掲載します。是非、現在のVolksagen車との比較や、当時の車を取り巻く環境のちがいなど、お楽しみください。