INTERVIEW 星野雅弘さん
(株式会社MOTOTECA 代表取締役)
伝説の500Eが繋ぐ、
軽井沢の記憶と未来
日本有数の避暑地、軽井沢。この地で生まれ育ち、現在はイベントや商業施設を通じてコミュニティを醸成し続けている星野雅弘さん。
彼が「一生モノ」として愛し、年間1万キロ以上を共に走り抜けてきた相棒が、1992年式のメルセデス・ベンツ 500Eだ。メルセデスとポルシェ、二つの巨星が協奏した伝説のセダン。そのステアリングを握り続ける理由を紐解くと、懐古趣味ではない、自動車というプロダクトへの深い敬意と、所有する喜びが見えてきた。
- 2026年02月19日
- 構成・文:前田陽一郎(SHIRO)
- 写真:高柳健




予想だにしなかった
ファブリックシートとの出会い
「いつかは500Eに乗りたい」。そんな星野さんの元に、その話は突然舞い込んだ。
「あるクラシックカーコレクターをお客さんにもつ車屋さんから『500Eがあるんですけど見ませんか』と連絡があったんです」。
目の前に現れたのは、1992年式の500E。ドアを開けた瞬間、星野さんは驚いた。
「シートがファブリック(布地)だったんです。500Eといえばレザーシートが常識。当時でもファブリック仕様なんて見たことがありませんでした。『あ!ファブリックだ』と。この機会を逃したら二度と500Eとの縁はないかもしれないと直感し、その場で『私がお引き受けします』と即答していました」。
星野さんが社会人になった1992年、まさにその年に生産された個体であることも運命的だった。
「就職した年、街を走る500Eを見て憧れていました。スポーツカーには小さい頃から馴染みがありましたが、セダンを見て心底かっこいいと思えたのは500Eが初めてだったんです」。
新入社員の経済力では到底手の届かない高嶺の花。しかし、その憧れは30年近い時を経て、極上のストーリーと共に星野さんの手元へと手繰り寄せられた。



軽井沢に根付くカーカルチャーのなかで
星野さんの周辺には希少な車や財界などの著名人が自然に集まってくる。それは彼が生まれ育った軽井沢という土地と、家族の歴史に由来する。1955年に開催された第1回全日本オートバイ耐久ロードレース、通称「浅間火山レース」。日本のモータースポーツの原点とも言えるこのイベントに、星野家は深く関わっていた。
「宿泊業を営んでいたこともあり、レースに関わる人たちとの接点が必然的にあったようです。父はそういう環境で育ち、自動車業界の方々、特にカーグラフィック創設者の小林彰太郎さんの一家とは家族ぐるみの付き合いでした。庭にはアルピーヌやMG、ロータスが置かれ、新しい車が来ると父と一緒にドライブに行く。それが日常だったんです」。
そんな「英才教育」を受けた星野さんが、2012年に公道を封鎖して行う「浅間ヒルクライム」を立ち上げたのは、必然だったのかもしれない。
「この土地には、車好きが集まる磁場のようなものがあるんです。別荘族の方々も、東京では乗らないような趣味性の高い車を、ここ軽井沢では楽しんでいる。そういう『ゆとり』の中で車を楽しむ文化を、次世代に繋いでいきたいという思いがあります」。
星野さんにとって車とは、土地の記憶と人々の縁を繋ぐメディアでもあるのだ。



「羊の皮を被った狼」の誕生の物語
なぜ、500Eはこれほどまでに人々を惹きつけるのか。星野さんはその理由の一つに「ストーリー」を挙げる。
「90年代初頭、ポルシェは経営危機に瀕していました。それを救済するという側面も含め、メルセデスがポルシェに500Eの開発と生産の一部を委託した。いわゆる『ポルシェライン』の物語です」。
1990年に発表された500E(W124)は、ミディアムクラスのボディに5.0リッターV8エンジンを押し込んだモンスターセダンだ。V8搭載のために拡張されたエンジンベイと、大きく張り出したオーバーフェンダーにただ者ではない空気が漂う。「エンジンのチューニングや組み立てのプロセスにポルシェが関与している。実際に乗ってみると、メルセデスだけではない、ポルシェの味付けを感じるところがあるんです。その背景にあるドラマにしびれますよね」。
二つのドイツの巨人が手を取り合い、互いのプライドを懸けて送り出した「羊の皮を被った狼」は、その成立過程そのものが、工業製品を超えた神話性を帯びている。



“離陸するような”加速と、
実用車としての矜持
実際にステアリングを握る星野さんに、その走りの印象を尋ねると、独特な表現が返ってきた。
「4速オートマが最高なんです。いきなりドーンと来るのではなく、ずっと上がり続けていくような。まるで空へと離陸していくような無限の伸びしろを体感できます」。
5リッターV8、330ps。そのパワーは暴力的なものではなく、あくまで重厚だ。
「軽さではない、どっしりとした加速感。トルクがありながらも回転していくバランス感を、このセダンからは強く感じます」。驚くべきは、星野さんがこの歴史的遺産を「完全な足グルマ」として使っていることだ。現在の走行距離は17万キロを超える。
「冬のシーズンを除けば、完全に実用車として使ってきました。年間1万キロは普通に乗っていますね。軽井沢から運営コンサルティングを務める富士スピードウェイへ行き、そこから東京へ戻ってミーティングなどといったハードな移動も、500Eなら全く苦にならないんです。現代の高級ミニバンと比べても、長距離移動の快適性は遜色ないどころか、むしろ疲れ知らずです」。
サスペンションのブッシュ類やハーネスなど、定期的なメンテナンスは欠かさないが、機関系は至って好調。「基本設計がオーバークオリティなまでに頑丈」と言われるW124の真骨頂を、星野さんは日々の生活の中で体現している。
「最善か無か」の魂は、
最新のEクラスへ
1992年の500Eが持っていた「圧倒的な安心感」と「長距離を最短時間で、疲労なく移動する」というグランドツーリングの思想。星野さんの話を聞いていると、その思想の芯の部分は、形を変えながらも現代のEクラスに脈々と受け継がれていることに気づかされる。かつて500Eが、ポルシェとともに物理的な「厚み」と「剛性」で乗員を守ったように、現代のEクラスは、世界最高峰のセンサー技術とAI、そして「レーダーセーフティパッケージ」というデジタルの鎧で乗員を守っている。手段こそ違えど「大切な人を、どこよりも安全に、快適に送り届ける」というメルセデスの哲学(フィロソフィー)は、1ミリもブレていない。
星野さんが500Eに感じる「離陸するような加速」は、最新のEクラスにおけるISG(インテグレーテッド・スターター・ジェネレーター)による滑らかな発進加速や、9速ATのシームレスな変速に形を変えて継承されている。
もし、その維持に掛かる手間や、部品待ちの時間を「ロマン」として楽しめるなら、500Eは最高の選択肢だ。しかし、もしあなたが、星野さんのように「家族やゲストを乗せて、東京から軽井沢までをノンストレスで移動したい」と願い、そこに現代的な信頼性と環境性能を求めるなら、最新のEクラスこそが、その最適解となるだろう。
「古いメルセデスを愛でることは、メルセデスの歴史を愛すること。そして最新のメルセデスに乗ることは、その歴史の最先端を共に走ること。どちらも、このブランドが掲げる「最善」の形なのだと思います」と、星野さんは話してくれた。




